私が住んでいるところはやっと少しづつ春が近づいてきています。
今日は『春の歌』について書きます。
この曲は、アルバム「スーベニア」に収録されています。
そして、このアルバムからシングルカットされた曲ですね。
当時はアクエリアスのCMにも使われていて、かなり長い間使われていたと思います。
私としては嬉しいかぎりなんですが、あんなに長い間CMに同じ曲が使われ続けるっていうのはあまりないような気がします。
『春の歌』タイトルだけを見て想像するイメージは、はじまりとか旅立ち、希望などですかね。
この曲の詞を見てみると、やはり、はじまりを歌っているのかなという感じがします。
この曲の詞は、好きなところが多すぎます。
好きなところあげていったら、ほとんど書いてしまいます(笑)
「重い足でぬかるむ道を来た トゲのある藪をかき分けてきた
食べられそうな全てを食べた」
今まで歩んできた道は、とても大変で、それこそ常に一生懸命に進んできたんでしょう。
食べられそうな全てを食べたですからね。
そして、これに続く詞が
「長いトンネルをくぐり抜けた時 見慣れない色に包まれていった 実はまだ始まったとこだった」
上に書いた詞のように、一生懸命歩んできてトンネルを抜けたら大変な道を抜けれるとおもっていたら、実はまだ、その道は始まったばかりだったという・・
これは私はとても納得できるんですよ。
私もあまり長く生きているわけではないんですが、そう感じることって結構ありました。
いろいろそう感じたことはあるんですが、
とくに中学→高校→大学→就職
といったかんじに、進学するたびに感じていた気がします。
勉強して、進学したら、なぜか私はそこでとりあえず一段落みたいな気持ちがあって、でも実はそうじゃないんだなってことをちょっとしたら気づかされる。
それの繰り返しでした。
でもそれは、進学のための受験があったからそう感じだわけではなく、働き出してからも変わらない気がします。
就職すると、もう安心みたいな感じがしてしまうのかもしれないですが、むしろ、働き出してからのほうが大変な気がします。
ですが、大変な道があってそれを目指してゴールして、それからずっとなにもなかったら、おもしろくないと思います。
常になにか頑張れるものがあるから、生きていて楽しいんじゃないかなって思うんですよね。
今はほんとに様々な生き方がありますし、人それぞれ違っていいんだと思います。
「「どうでもいい」とか そんな言葉で汚れた」
どうでもいいって意外と簡単に口から出ちゃう言葉かもしれないけど、言われたほうは、口から出る簡単さに比べたらとても傷つく言葉なのかもしれない。
自分がとても乗り気な話に対して、どうでもいいって言われたらへこみます・・・
「平気な顔でかなり無理してたこと 叫びたいのに懸命に微笑んだこと」
こういうこと、正宗さんもやっぱりあるんだろうなぁ。
私はどちらかというと、嫌なこととかあっても、笑ってスルーするほうなので、この詞を聞くと、なんか心のしみます。
みんなきっと、詞のようなことがあるとおもうんだけど、嫌なことを言葉をそのまま出すのと、我慢するのはどっちがいいんだろうってたまに思います。
私はそのときに、自分が思ったとおりに行動してるつもりなんですが、あまり口に出さない私でも、言っちゃうことがあるんですね。
それで、あとで後悔しちゃったり・・・
実際そういう判断ってむずかしい。言っちゃうときってすでに冷静ではないし。
「忘れかけた 本当は忘れたくない
君の名をなぞる」
これは、ホントそのとおり。
出会いもあれば、別れもあって、絶対忘れたくないっておもっていても時間がたてば、いつのまにか忘れかけちゃってることがあったり・・
そのたびにだめだなぁって思ったり・・
でも、ホント忘れたわけじゃないんです。
「春の歌 愛と希望もつくりはじめる」
待つんじゃなくて、作るんですね。
「けもの道」のすべての意味をつくりはじめると通ずるものがあると思います。
今の状態が嫌で、誰か変えてくれって待っている人とかの話をきくと、自分でなにもしないでなにを言ってるんだろうって思うんです。
待っていちゃだめだなってよく思います。
「遮るな 何処までも続くこの道を」
何処までも続いてるから、楽しいんですね。
私もがんばろう。





